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日本酒からビール、コーラまで、 地域と共に100年続く酒蔵。

世嬉の一酒造株式会社 / 新規事業マネージャー候補

インタビュー記事

更新日 : 2022年08月03日

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世嬉の一酒造株式会社 事業概要

南部杜氏の里として、古くから知られる岩手県。

一関市の市街地を流れる磐井川沿いに、世嬉の一酒造はあります。

100年もの間、地域に根付き、酒づくりを行っています。

会社の敷地内には、江戸時代から続く酒蔵を活かした郷土料理レストランやビール工場、売店などが立ち並んでいます。

足を踏み入れた瞬間、まるでタイムスリップしたような雰囲気に包まれます。

世嬉の一酒造では、創業当時から続く日本酒づくりに限らず、地ビール、クラフトジン、クラフトコーラなど様々な商品開発を積極的に行っています。

特徴的なのは、地場の食材をつかったユニークな〈いわて蔵ビール〉。

一関産のトマトを使用したビールや、隣町である陸前高田の牡蠣を使ったオイスタースタウトなど、ビールを通して岩手の良さを全国、そして世界に伝えています。

 

「震災後に会社を引き継いで、先日100周年を迎えることができました」

そう話すのは、四代目を継ぐ代表取締役社長の佐藤航(わたる)さんです。

航さんは、東京の大学を卒業後、コンサルティング会社に就職。

その後、30歳の時に実家に帰り、ビール部門のブルワーとして家業を手伝うようになりました。

「当時は、ビールの売上が大赤字だったので、とにかくビールの品質を向上させようと必死でしたね。血気盛んで、社員や父親(3代目)とも毎日ケンカしていました(笑)」

時には社内でぶつかり合いながらも、これまでにない自由な発想で、ビールづくりに取り組み続けました。その努力が実を結び、東北のビールとして高い評価を受け、海外にも販路を広げていきました。

ビールの売上は順調に伸びていき、世嬉の一酒造は盛り上がりを見せてきました。

しかしその矢先、東日本大震災が起きたのです。

蔵の壁が崩れ、醸造設備はボロボロに。

醸造が出来ない日々が続きました。

それでも「何かしなければ」と思った航さんは、陸前高田や気仙沼で被災地支援の活動を行います。その時の経験が、今も活きているといいます。

 

「被災地で活動していると、支援しているはずが、こっちもいい気持ちになり、人のためになることが、自分の幸せにもつながっていることに気付いたんです。仕事っていいなぁ、人のために働くっていいなぁって」

震災を乗り越え、2012年に会社を継いだ航さん。

地域に喜んでもらえる酒づくりを目指し、会社をより良くしていこうと決心しました。

 

世嬉の一酒造の企業理念は、3つあります。

お客様を幸せにすること、社員が人として成長すること、地域が豊かになること。

 

入社12年目、レストラン部の岩渕美幸さん。

蔵元レストランせきのいち・副店長を務めています。レストランのホール担当として、料理を提供する他、郷土料理の説明もこなします。

「世嬉の一という社名は、“世の人々が嬉しくなる一番の酒をつくる”という意味を込めて、昭和初期、閑院の宮からいただいたものです。会社として何かに取り組む時は、その思いを組み入れながらやっています」

 

もともと人と接するのが好きな岩渕さん。

接客をする上で心がけていることを聞いてみました。

「色んな事業をやっている会社ですから、お客様から聞かれることも幅広くて。だからこそ聞かれたことにはちゃんと答えたいなと思います。そのために、何に対しても興味を持ってみようという姿勢を大切にしています」

世嬉の一酒造では酒づくりの他にも、レストランやカフェの運営、一関の食文化である餅本膳の体験等、多岐にわたって事業を行っています。

どの事業にも共通していることは、「人々を喜ばせたい」という思い。

レストランでは、お客さんに歩み寄った、アットホームな接客を目指しています。

その雰囲気がお客さんにも伝わり、スタッフとの会話を目的に来店する常連さんもいるのだそうです。

「来たよーって言ってくださるお客様もいて。スタッフそれぞれにファンがいるんですよ」と笑顔を見せる岩渕さん。

スタッフそれぞれにファンがいるとは、面白い。

かといって、ファンづくりを強く意識しているわけではなく、一人ひとりのカラーを活かして接客しているといいます。

マニュアルにはない自然体な接客が、お店の味となってにじみ出ているように感じます。

 

「スタッフそれぞれが自然にやっていることが、良いのかなって。最終的には人なんだと思います」

 

企業理念の2つ目は、社員が成長すること。

コンサルティング会社に勤務し、様々な企業の経営を見てきた航さん。

お金をたくさん儲けることが果たして幸せにつながるのか、自問自答してきました。

「本当の幸せってなんだろうって思ったときに、自分の成長を実感できることなんじゃないかな、と思って」

そのため世嬉の一酒造では、社員の成長の場をつくるために、ビールやクラフトジンづくりを若手社員に任せています。

例えば、2020年に立ち上げたクラフトジンのブランドは、新人社員や若手社員が主体でチームを組んでいます。

「ジンをつくるのはビール工場長じゃなくて、その下の社員なんですよ。その子がビール部門で今から工場長を追い越そうと思っても、経験や年月の差があるので追い越せない。だったら違う所でトップになったらいいんじゃないかということで、クラフトジンを任せました」

若手のうちから主体的に参加することで、社員一人ひとりが成長し、より斬新なアイデアやオリジナリティーのある商品づくりが期待できます。

何より、1人ひとりが主役となってほしいと、航さんはいいます。

「それぞれの部門でそれぞれの人が、自分のポジションやリーダーになる部分をつくってほしいなって思います。僕から答えは出さず、社員に考えて行動してもらっています」

社員が自発的に行動できる会社づくり。

ここ数年、社員に現場を任せられるようになりました。

 

一方で、全て現場に投げやりというわけではなく、現場を見る視点も大切にしています。

「あの部門が変だなって思ったところは、僕も現場に入るようにしていて。僕ね、現場主義なんですよ。一応、この会社のどの部門にも入れます。会社が忙しくなってきたら、ヘルプ要員として“社長”って書かれるし(笑)」

社員同士も、例えばビール部門が忙しい時は、レストラン部門のスタッフが瓶詰め作業を手伝う場面も見られます。

1人ひとりが、補い合いながら。同じ一つの会社というのが、世嬉の一酒造のスタンス。

「世嬉の一酒造が良くなるように、皆で協力し合ってやっている会社です」

 

企業理念の3つ目は、地域が豊かになること。

「100年間この一関で生きているので、僕たちの活動が、地域が豊かになることの手伝いにならなきゃいけないと思っています」と航さんは話します。

 

入社7年目、醸造部の小岩裕来さん。

ビールの瓶詰めや配送業務、時には地域のイベントに出店して、ビールスタッフをすることもあるといいます。

「お客さんが楽しそうに飲んでくれたり、“頑張ってね”と声をかけてくれたり。何気ない会話だけど、そんな声をいただいた時にやりがいを感じますね」

小岩さんは高校3年生のとき、会社の雰囲気や取り組みに漠然と惹かれ、高校卒業後、世嬉の一酒造に入社します。

2018年に創立100周年を迎え、会社の変遷を調べていくうちに、自分がこの場所に導かれた意味を知りました。

「最初はただ歴史が好きだったんですけど、自分が本当に好きだったのは歴史じゃなくて、人が積み重ねていった時間が好きなんだなって、その時気付きました。積み重ねていった思いっていうんですかね。それを知るのが面白いんだなって」

会社の歴史を遡ると、まさに波乱万丈。

 

2度にわたる台風大水害、歴史ある蔵を残すための資金問題、そして東日本大震災。

会社存続の危機に何度も直面してきました。

 

それでも、100年以上会社が続いてきたのは、地域全体のために動いてきたから。

水害で被災した一関の映画館に酒蔵を提供した他、蔵を活用した博物館を設立し、地域の魅力を発信することも行ってきました。

地域のために尽力してきた先人の思いを知った小岩さん。

「一関にはこんな人達がいたんだよということを、次に繋げていきたい」

そんな思いが強くなったといいます。

 

働く中で、何を大切にするのか。

小岩さんは、自分の幸せについてこう語ります。

「本当の幸せとは何かを考えた時に、誰かのために頑張ることや、誰かと一緒に積み重ねる時間こそが、自分らしくいられる時かなって思います」

「でも原点になっているのは、この町が好きだからですね。この町が好きだからこそ、ここで生き続けて、町のために頑張りたい」

 

世嬉の一酒造では、若手社員からベテラン社員まで幅広い世代が働いています。

会社にどんな人を求めているか、航さんに聞いてみました。

「人のためになることが、自分の幸せになる人かどうか。そこを採用基準にしています。僕らみたいに地域で生き残ろうとしている会社って、地域にプラスになることをしないと人は付いてこないし、地域から反発されると思っていて。自分だけ儲かるとか、そういう考えって生きてて楽しいのかな?って思っちゃう」

「うちの会社が100年続いたのは、町から必要とされていたからだと思うんです。そういうところが、エッセンスとして初代から続いていたと思うので、僕らもその辺りを踏み外さないようにしようとしています」

 

100年の歴史から受け継いできたもの、変化してきたもの。

航さんは、次なる試みとして、ものづくり回帰を目指しているといいます。

コロナ禍になって、カフェやレストランの利用客が激減したことを受け、日本酒の自社醸造を約40年ぶりに再開。

「それまで事業が多様に広がっていたものを、いい塩梅に絞って、ものづくりの会社にシフトしています。コロナを受けて、会社がまた一つ成長したように思います」

 

時には向かい風に打たれながらも、一歩一歩歩み続けた百余年。

人との繋がりや縁に助けられた恩を、次の百年につないでいけるように。

「今後も自由な発想をもって、社員1人ひとりが主役となれる場をつくりたいです。子供や孫たちの代にとっても良いものづくりを、地域に根ざしてやっていきたいですね」

創業当初からぶれない、人々に喜ばれる酒づくり。

「人に喜んでもらいたい」という純粋な思いこそ、長く続けていける秘訣なのだと感じました。

 

 

 

取材:足利 文香